浅 ぼり男(ぼりお)の九州とんこつブログ

ラーメンブログではなく、九州出身でラーメン好きな筆者が送る、みなさんに共有したいなと思ったTIPSや思考を紹介するブログです。

安楽死と尊厳死からの死生観

ごっつぁんです。

ベルギーのパラリンピック金メダリスト フェルフールトさんが安楽死というニュースがありました。安楽死と似たような言葉で尊厳死というものがあります。

本日は”安楽死尊厳死を通して死生観を持つことの意義”に関して
縛り上げられたチャーシューの気持ちで綴ります。(どんな気持ちだ。。)
https://www.cnn.co.jp/showbiz/35144373.html

まず、安楽死尊厳死は下記のような定義で、安楽死は日本では違法となり、ベルギーでは完治の見込みなく耐え難い苦痛があるなら合法となるそうです。

安楽死:医師など第三者が薬物などを使って患者の死期を積極的に早めること
尊厳死:延命措置を断り、人間の尊厳を守りながら自然死を迎えること

一方、死生観は下記のような定義で、上記の安楽死尊厳死を含めて、自分や家族が死に直面する機会がなければ、言葉の意味はもちろん、選択できる場面に直面した場合、どうしようかと考えることもないかと思います。

死生観:死あるいは生死に対する考え方、また、それに基づいた人生観

若いうちは時間が無限にあると思い、怠惰に過ごしたり、誘惑に負けることが多いかと思います。(筆者も35歳と若くないが、怠惰に過ごすことが多々あります。)
一方、中東やアフリカの戦時中の子供達は死と隣り合わせで生きており、死生観を持って生きています。戦時中の日本人もそうだったように。
普段の生活において死生観を持つと日常にも緊張感が生まれ、より良い生活が送れると思います。限りある人生をより有意義に過ごすためにも死生観を持つことを進めたいです。
これは社会人生活を送る中でいろいろな抵抗勢力や摩擦に直面した際に、
強い自分を維持するのにも役立つと思います。(ただし、バランスが大事で、私のように周りに敵ばかり作っても、なかなか事を成すことはできないのですが。。。)


本日はこのあたりで失礼します。
どすこい、どすこい!